
Contribution寄稿
「 初心、忘れることなく 」
美術評論家 安井収蔵
すでに現童通信に書いているが、毎日新聞の旧友、西川比呂夫が「上野、都美術館で、現代童画会を旗揚げする。協力してほしい」と話しかけられ半世紀近くなり、今日に至っている。
久保雅勇、深沢邦朗、西川氏らすでに亡く、ご本人の顔すら知らない会員も少なくない。無常迅速である。感慨深い。
この40年、考え方の違いから童画会を去った人たちもいる。だが、私自身、現代童画会に敬服するのは、お互いにナイーブとは何か、プリミティーブとは、この40年に亘り、
カンカンガクガクと戦わせながら、連綿と続き続けていることである。毎年、選抜展と本展を拝見しているが、出版関係者が多く、版下屋、職人といわれながらも、確実に美術の幅は増幅し、
表現の素材も、版画、アプリケその他、無限に広くなっている。問題点といえば、何処でもそうだが、少子高齢化の影響を良かれ悪しかれ受けていることだろう。
何時になく理屈っぽいことを申しあげてきたが、実に楽しくみえる会である。そのひとつは制作に制約がなく、自由な付き合い、自由な発想である。
私自身、美術にかかわりを持つ仕事で、他の公募団体ともお付き合いする。色いろな〈事件〉ことがあった。昔といっても戦後、間もないころ、本家争い、本舗××、家元◯◯など
商標争いのようなトラブルが公募団体の中で起きた。挙句、法務局に名称登録した団体がいくつもあった。
それが時代とともに、法人化して、社団法人を名乗る公募団体も法目立つ。この数年来には、公益社団法人を名乗り、絵描きが「法人社員」となる。
公益法人になれば、税制での優遇、時には補助金すら国から与えられる。しかし、作家が理事長、理事、評議員などという肩書きを名刺に刷り込むのは、なんとも似つかわしくない。
そんな野暮なことをいう同人たちは居なかったと思う。
ご存知、ここに来て、昨年から文化庁、内閣府から締め付けを受けているのが公益社団法人、日展である。社団法人、公益法人になれば、法律による縛りがある。
ニッチもサッチも行かないことがあるそうだ。公募団体として財政的に最も裕福な日展だが、こんなに窮屈なら、公益法人の財産、約9億円をお返ししては・・・の意見が出ているという。
短絡的かも知れないが、自由のためには9億円も惜しくは無いのである。自由は金で買えないものである。その自由を取り戻すため金を捨てても宜しいという意見。
さすが、お金持ちは違うと羨ましくなる。